前回のはこちら
被告の立場から考える
前回の投稿では、アウティングが持つ暴力性というものをこれでもかとなじったわけだが、しかし、アウティングした側ばかりを一方的に断じることに、いくらかの後味の悪さが残るのも事実である。ある人の中には、次のような疑問が生じることがある。「カミングアウトや告白は、聞き手に心理的なショックを与えるのみならず、性的少数者であるという事実を秘密にすることを強いる行為であり、その点今回自殺したAにも問題があったのであり、Zがアウティングに至ったのにもある程度の正当性があるのではないか?」