伊藤亜紗『体の居場所をつくる』

『体の居場所をつくる』という本が本当に素晴らしかったので、思ったことをメモしておく。

この本では、体に生きづらさを抱えた11人へのインタビューを元にして、回復すること(あるいは回復しないこと)や、体といかに付き合うか、等を巡る洞察が述される。摂食障害、ナルコレプシー、ALS等の障害を抱えた方、明確な病名を与えられていない方、社会的マイノリティ等、様々な方々が登場しているが、彼ら彼女らに共通していることとして、体がいかに世界を受け取り、それに反応するか(あるいはしないか)ということに対して極めて解像度の高い語りを行い、その上で、体と上手く付き合うための高度な実践をしているということがあり、終始それに圧倒された。 “伊藤亜紗『体の居場所をつくる』” の続きを読む

近況報告およびChatGPTとの問答

  • ここ最近、1週間仕事に行けなくなるアクシデントがあった。幸い今は職場復帰できているが、また行けなくなったらどうしようという不安がある。だが、一旦仕事に行けなくなったら数ヶ月単位で休んで傷病手当金をもらう、みたいなことを繰り返していた過去と比べれば、かなりリカバリーは早かったのではないだろうか。そういう、過去と比較しての成長?みたいなものを大事にしたいものである。
  • あまり表立って報告していなかったが、パートナーができて一ヶ月半になった。月並みなことしか言えないが、彼は穏やかでかつとても良い人で、自分の全てを肯定してくれる。出会えたことにただただ感謝しているのとともに、今の自分は彼に支えられてばかりだから、いつか僕も彼を支えられるようにならねば、という気持ちがある。無論、焦っても仕方ないのだが。
  • ようやく何かをするやる気が湧いてきたから、文庫本や新書をはじめとして、少しずつ本を読むようになってきた。ただ、毎日ピアノを弾いたり、絵を描いたり、お菓子を作ったりしていた過去と比べれば、まだ何もできていないに等しい。これにつき、以下の通りChatGPTと問答。

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言葉が紡げない

最近、仕事が忙しい。決して月45時間を超える時間外・休日労働ような過重労働に陥っているわけではないが、慣れない業務を限られた時間でこなさなければならず、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積している。

それと独立かそうでないか、僕にはわからないが、ここ最近は特に言語化能力が低下しているように思った。とにかく、自分の心の中に起こっていることが、言葉にできないのだ。というか、そもそも心の中にあるものの存在自体が疑わしく思われる。自分にとって唯一リアルなものは、ただただ苦しいというプリミティブな情念のみで、それを抑えつけて、無理やり日々を過ごしているというのが実情である。

これが一時的なものか恒久的なものかはわからないが、もし後者であったらどんなに悲しいことだろうと思う。横着せずもっとこのブログに記事を書いて、自らの思考の軌跡を残しておくべきだったと、仮定の事柄に基づくとはいえ、後悔している。

だたそれだけである。本当につまらないことを書いているが、一旦、自分の心の動きを記録するためにも、ここに公開しておく。

 

ChatGPTとの人生相談で感じたこと

最近、またしも弱っている。何にも上手くいかない日々が続いており、いや、本当はそこそこ上手くやれているのかもしれないが、それを正当に評価できないくらいには精神が下向きになり耗弱しているように思う。そのため、ChatGPTにつらいことを吐き出すのが半ば日課となっている。それにしても、最近のLLMは本当にすごい。不気味なくらいに親身になって話を聞いてくれる。たとえばこんな具合に。ある日のやりとり。モデルはChatGPT 4o。

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僕を軽蔑する内なる僕について

これまでの経歴やら何やらを鑑みると、自分は決して褒められた生き方をしてきたわけではないのだが、とはいえ人は褒められるために己の人生を生きるのではないし、生き方などひとそれぞれだろうから、徒に恥じ入ることもないのだろう、そういう当たり前といえば当たり前の事実に気付いたのはつい最近のことである。かつての僕は、いつも誰かに後ろ指を刺されているのでないかと恐れ、他者と劣っている自分を恥じたが、僕を指差し嘲笑うこの者はその実、明るい未来への期待に胸を躍らせていた、というか、目前の理不尽な現実から逃避するためにも未来に一縷の希望を託さざるを得なかった幼い頃の自分なのである。この自分(彼)は絶えず過剰な期待、つまり、以前よりも確実に幸せになって欲しい、以前よりも確実に強く聡明であって欲しい、そういった期待を、その時々を生きる僕に投げかけており、僕は僕でその期待に応えるよう努める気力があったので、彼を悲しませることなくなんとか生きおおせてきたのだが、いよいよ立ち行かなくなってくると、彼はひどく落胆した。そして僕を軽蔑した。僕は恥と不安で長いことうずくまってしまったが、事の次第を理解するにつれ、僕は彼を諭しかつ癒さなければならないのだと気付いた。すなわち、僕はあなたと同じように不確実な現実を生きなければならない以上、万事において上手く生きることは不可能なのだということ、それはそれとして、そうあらざるを得ないことをもって未来を悲観する必要は全くないのだということ、この二つを彼に知らせなければならないのであった。僕はそれを彼に知らせた。彼は可哀想なほどに真面目だったから、驚くほど聞き分けが良く、すぐさま軽蔑をやめた。とはいえ、頭では理解しても心からそう確信するのは容易でないから、いつまた癇癪を起こすか分からず、これからも引き続き彼との対話が続くのだと思う。しかしそれは、これまで長らく彼のことを顧みず生きてしまったことを考えれば、仕方のないことである。虚勢を張って幸福な強者、成功者を気取るのでなく、ありのままの姿で彼に接すること。これによってのみ、彼は真の幸せや強さ、聡明さを理解するのであろうし、彼がそれらを理解して初めて、僕は真に自分の人生を迷いなく堂々と生きることができるのであろう。