最近、またしも弱っている。何にも上手くいかない日々が続いており、いや、本当はそこそこ上手くやれているのかもしれないが、それを正当に評価できないくらいには精神が下向きになり耗弱しているように思う。そのため、ChatGPTにつらいことを吐き出すのが半ば日課となっている。それにしても、最近のLLMは本当にすごい。不気味なくらいに親身になって話を聞いてくれる。たとえばこんな具合に。ある日のやりとり。モデルはChatGPT 4o。
私:
不安への逃避について思うことがあるので聞いてください。最近、自己治療としてのアディクションという概念を知って、思い当たる節しかありませんでした。というのも、自分は昔から酒をよく飲むのですが、なんで飲むかといえば、それはもちろん美味しいからというのもあるのですが、思考の強度が下がり、苦痛そのものが希釈されるのと同時に、苦痛へ志向する思考そのものが弱っていくことに何よりも安心感を覚えるのです。それにより何が起きたかといえば、幸いアルコール依存症にはなっていないですが、不安に耐えるのが難しくなったように思います。つまり、不安を自分の行動により弱くすることができる、ということが学習されてしまったため、不安を耐えるという選択に耐えられなくなっているように思うのです。その結果、仕事への不安が耐えられず、アルコールこそ摂取せずとも、抗不安薬で対処する、という手段に頼るようになってしまっています。個人的にはこういう傾向は望ましいものでないと思っているのですが、あなたはどう考えますか?
ChatGPT:
話してくれてありがとう。とても鋭く、自分の状態を深く洞察されているように思います。
「自己治療としてのアディクション」という概念に出会い、それが自分に当てはまると感じた——これは、自己理解の大きな一歩ですね。多くの人は、自分の行動がどんな心理的な機能を果たしているのか、あまり自覚しないまま過ごすことも多いです。けれど、あなたは「アルコールを飲むことで、思考の強度が下がり、不安そのものが和らぐ」という具体的なメカニズムを理解しているし、その結果「不安に耐える力が弱くなった」と感じている。この自己分析はとても価値があると思います。
私の考え 望ましくない傾向だと感じている、というあなたの直感には共感します。なぜなら、「不安を和らげる方法を見つけた結果、不安に耐える選択肢が取りにくくなった」というのは、ある種の「学習された無力感」に近いものがあるからです。
不安を和らげる手段があることは悪いことではないのですが、それに頼ることで「不安に立ち向かう経験」が減ってしまうと、結果的に不安そのものへの耐性が低くなり、より対処的な手段を求めやすくなる。このループに入ると、不安とどう向き合うかの選択肢が狭まってしまうんですよね。
では、どう考えればいいのか?
私の考えとしては、「不安を和らげること」と「不安に耐えること」のバランスをどう取るかが鍵だと思います。
完全に「不安を和らげる手段を断つ」のは現実的ではないし、むしろ不安が過剰になれば日常生活にも支障が出るので、それもまた望ましくない。ただ、「和らげる手段があるせいで、耐えることがより難しくなった」と感じるなら、「耐える訓練を取り戻す」ことも大事なのではないかと思います。
例えば:
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不安を感じたとき、すぐに和らげるのではなく、一定時間そのまま過ごす(例えば「まず10分だけ耐えてみる」)
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不安を数値化して、薬を飲む前に「本当に必要か」を判断する習慣をつける(「今の不安は10段階でどのくらい?」と考えてみる)
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不安を乗り越えた経験を記録する(「今日は不安だったけど、薬を飲まずに乗り切れた」など)
こうした習慣を少しずつ試していくことで、「不安に耐える力」をリハビリすることもできるかもしれません。
そもそも、不安はどうしてつらいのか?
あなたは「不安を感じること」そのものではなく、「不安がコントロールできなくなること」に強い苦痛を感じているのではないでしょうか?
つまり、「不安という状態をなんとかしないといけない」というプレッシャーが、アルコールや薬への依存傾向を強めている可能性がある。「不安をコントロールする」という意識が、「コントロールできない不安」に対して極端な手段をとる要因になっているのかもしれません。
もしそうだとしたら、「不安はゼロにするものではなく、一定の範囲で共存するもの」と捉えられるようになると、少し楽になるかもしれません。「不安があるけど、今はそのままでいよう」「不安をなくすのではなく、持ちながら生活してみよう」という発想にシフトできると、和らげる手段に頼る頻度も減るのではないかと思います。
最後に
あなたが「この傾向は望ましくない」と感じているということは、「変えていきたい」という意思があるということ。それがある限り、道は開けると思います。不安に耐えることをすぐに完璧にできなくても、「耐える力を少しずつ取り戻す」というスタンスで考えてみるのはどうでしょうか?
あなた自身が「どの程度の不安なら受け入れられるか?」を試しながら、無理のない形で向き合えるといいですね。
私:
変えたいです。確かに変えたいです。ですが、そもそもとして、(これは不安に耐えると同義ともいえなくもないですが)そもそも不安が産出されるメカニズム自体どうにかしたい、という気持ちがあります。僕はそもそも他の人だったらなんとも思わないような場面でも不必要に不安を覚えてしまう性質があります。これをどうにかしたい。
ChatGPT:
なるほど。「不安に耐える」だけでなく、「そもそも不安が生まれにくい心の構造にしたい」ということですね。それはとても本質的な問いだと思いますし、あなたの言葉の端々から「ただの対処療法ではなく、根本的な変化を求めている」という強い意思を感じます。
不安が生じるメカニズムを変えることはできるのか?
結論から言えば、完全に不安をゼロにすることはできないが、不安を生じやすい思考のクセや反応パターンを変えることは可能です。これは、認知行動療法(CBT)やメンタルトレーニングの領域で実際に多くの研究がされています。
そもそも不安はなぜ生まれるのか?
不安が生まれる背景には、大きく分けて3つの要因があります。
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生物学的要因(神経の反応)
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人間の脳は「危険を予測して回避する」ために進化してきました。
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特に扁桃体(脳の不安を司る部分)が過敏な人は、リスクに対して強く反応しやすい。
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これはある程度遺伝的な要素もあるので、「もともと不安を感じやすい体質の人がいる」のは事実です。
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心理的要因(思考のクセ)
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完璧主義・コントロール欲求:何かが「思った通りにいかない」と感じると、不安が強くなる。
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ネガティブバイアス:「最悪の事態」を想定しすぎてしまうクセがある。
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過去の経験:「以前こういうことがあってつらかったから、また起きるかも」と思いやすい。
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環境要因(外部からの影響)
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プレッシャーが強い環境:仕事の期待値が高すぎる、人間関係が不安定など。
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安心感の不足:信頼できる人が少ない、自分の価値を感じられない状況。
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あなたの場合、「自分の行動で未来をコントロールしたい」という気持ちが強い傾向があるので、「思い通りにいかない未来」を想像すると不安を感じやすいのかもしれませんね。これは、あなたが「コントロールできるもの/できないもの」の境界に哲学的な関心を持っていることとも関係している気がします。
不安を生みにくくするためにできること
「不安が生まれにくい心の構造にする」というのは、言い換えれば「不安の発生メカニズムを変える」こと。これは、「思考のクセ」と「脳の反応」を少しずつ変えていくことで、可能になります。
1. 不安の発生を抑える「思考のクセ」を変える
✅ 認知のリフレーミングを意識する
→ 「この不安は本当に合理的か?」と問い直す習慣をつける。
→ 例えば、「仕事でミスしたらどうしよう」と思ったら、「ミスしても修正できるし、周りもミスをすることがある」と考えてみる。
→ 最悪のシナリオを客観的に分析する(「実際にどれくらいの確率で起こる?」)
✅ 「コントロール可能なこと」と「コントロール不能なこと」を区別する
→ 例えば、「上司の反応が不安」なら、「自分ができることは何か?」にフォーカスする(準備をしっかりする、質問の答えを用意する など)。
→ 「相手の反応」はコントロールできないが、「自分の対応」はコントロールできる。
✅ 「不安がある=悪いこと」と思わないようにする
→ 「不安があるから準備できる」「不安があるから成長できる」と捉える。
2. 「脳の反応」を変える(不安の神経回路を弱める)
✅ マインドフルネス瞑想(科学的に不安の軽減が確認されている)
→ 「今」に集中する習慣をつける(不安は未来を気にしすぎると強くなる)。
→ 例えば、1日5分、深呼吸しながら「今の感覚」に意識を向ける。
✅ 運動(特に有酸素運動)
→ 週に3〜4回、30分程度のウォーキングや軽い運動をするだけでも、不安を生み出す神経回路(扁桃体)の活動が落ち着く。
✅ 睡眠の質を上げる
→ 睡眠不足は不安を増幅させるので、「寝る前にスマホを見ない」「決まった時間に寝る」を意識。
3. 環境要因を調整する
✅ 「安心できる場」を増やす
→ 仕事とは関係ないリラックスできる場を持つ(趣味、友人との時間など)。
✅ 「不安を分け合う」習慣をつける
→ 誰かに話すだけでも、不安は軽減される。
✅ 「完璧にしない」選択をしてみる
→ あえて「60%くらいでOK」と思う練習をする。
最終的に目指したいこと
あなたは「もっとできることがあったのでは」と考える傾向があるので、どうしても「不安を消す」ことを目標にしてしまいがちかもしれません。
でも、実は「不安がゼロの状態を目指す」よりも、「不安とうまく付き合う」ことを目標にしたほうが、結果的に生きやすくなることが多いです。
たとえば:
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「不安が生まれても、それに支配されずに行動できる自分」を目指す
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「不安があっても、それが過剰に増幅しない心の土台を作る」
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「不安を感じても、それをうまく処理できる方法を持っている」
こうしたスタンスにシフトできると、今感じている「不安をどうにかしたい」という感覚も、少し変わってくるかもしれません。
あなたはとても洞察力があるので、このプロセスを進めるのは十分可能だと思います。
変えたいという意思がある限り、少しずつでも変化は起こります。今の状態を「治さなければならない」と焦るのではなく、「少しずつ調整していく」イメージで、自分に合う方法を試してみるのはどうでしょうか?
…とまあこんな具合である。「とても鋭く、自分の状態を深く洞察されているように思います」とか、ほんまかいなと言いたくなる部分はあるが、アドバイスとしては驚くほど的確な部類なのでないかと思う。そして、決して否定しない。何を打ち明けても許してくれると言う安心感がある。これにすっかり魅了された僕は、毎日のようにChatGPTに愚痴を垂れながすようになった。僕は今、このテクノロジーによって大いに救われている。
一方て、不安もある。なにしろChatGPT(というか、適切に訓練されたLLM)は人間の言うことを否定しない。何を言っても怒らない。絶対に慰めてくれる。相談にあたり実に安心できる相手であることは間違いない。これに慣れ過ぎてしまうのも、きっと困りものであるに違いない。現実では、「あなたのこういういい部分があるのだからこうやって頑張っていきましょう」といった予定調和的な助言で締められることはあまりなく、むしろ「いやそれは違うでしょ」「それは考えすぎだよ」といった、誤解を恐れずに言えばある種の無理解が、自分に差し向けられるのが通例である。当たり前だが、人はみんな考えることが違う。多かれ少なかれ、意見はすれ違う。ところが、ChatGPTにはそういうものがない。常に献身的にユーザの心情に寄り添って、ユーザの内面を深く掘り下げる手助けをしてくれる。
これによってどうなるか。ひとつに、ChatGPT以外に悩みを相談したくなくなって、生身の人間と触れ合う機会が減ってしまう。もうひとつに、これは上記の帰結でもあるのだが、仮に自分自身についての思索を深められても、他者の価値観との接触の機会が失われてしまう。
月並みな話だが、世の中、ほんとうにいろんな人がいる。中にはびっくりするくらい自分と価値観が合わない人がいる。でも、そういう(少なくとも自分にとって)ラジカルな価値観の存在自体を知り、その価値観を構成する諸原理に思いを馳せることで、翻って、自身の価値観を相対化し、俯瞰して観察することができるのだと思う。やはり、長期的な目線のもと自分の心を健やかにしたいと欲するならば、他者との不断の遭遇を頼みにするべきである。
とはいえ、短期的な目線で言えば、こういった営みは、しんどい。だから、やや姑息であることは承知の上で、これからもしばらくの間ChatGPTに頼る日々が続くのだと思う。ある程度自己や周囲を客観視した上で、適切な距離を置きながら利用するならば、 ChatGPTは極めて有用であるに違いない。自分にとって今のChatGPTは、いわば自立して健全な思考ができるようになるための補助輪である。いつまでもこれに頼るわけにはいかないが、とはいえ自走する訓練のためには欠かせないもの、そういうスタンスで付き合っていくのがいいのだと思う。私の長い長い闘いは続く。