一労働基準監督官としての所感――刑事捜査を例として――

刑事訴訟法第189条第2項には、こうある。

 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。

ところで、労働基準法、労働安全衛生法には、それぞれ次のように定められている。

 労働基準法第102条 労働基準監督官は、この法律違反の罪について、刑事訴訟法に規定する司法警察員の職務を行う。
労働安全衛生法第92条 労働基準監督官は、この法律の規定に違反する罪について、刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)に規定する司法警察員の職務を行う。

ここにおいて、司法警察員は、差し当たり司法警察職員と同義と解してよい。となれば、結局のところ労働基準監督官は、労働基準法や労働安全衛生法等の違反の罪について、捜査を行う権限を持っているわけである。このように、通常の警察官ではないが、警察官と同等の権限を有する公務員を、特別司法警察職員と呼んだりもする。

労働基準監督官は、任官された直後から、ほぼ完全な警察権を与えられる。通常の警察官でさえ、巡査、巡査長は司法警察巡査といって、一部の権限が制限されており、巡査部長以上の職位になければ警察権を完全に行使することができない。だから、労働基準監督官という職は、特に若手にとって、極めて責務の重い職なのである。

とはいっても、基本的に、任官されたての1年目監督官は、労働大学校における約3か月の集合研修と、残り約9か月に及ぶ実地研修、実地訓練に服するから、いきなり犯罪捜査を任されることはなく、もっぱら初歩的な事務作業、相談業務、諸々の許認可業務に従事することになる。本格的な捜査を行うようになるのは、だいたい任官2年目に入ってからとなる。

管轄地域内で重大な法違反が認知されれば、労働基準監督署は犯罪捜査に着手する。このとき、署内に司法業務経験の少ない若手監督官がいれば、率先して彼(女)が捜査主任官に選任され、上司の指示を絶えず仰ぎつつも、自ら主体的に捜査を進めることとなるのである。

2年目監督官である私も、司法業務に従事した。2件やった。労働基準法、正確には最低賃金法と、労働安全衛生法に関する被疑事件と、それぞれ1件ずつである。事件を担当させられた直後は、果たして上手くできるかどうかという不安と、やっと監督官らしい業務を任されるようになったという興奮とを抱き、ある種の若々しさに充ちた様相であった。このままつつがなく捜査を終結させ、書類送検まで持っていった先には、一つの大事業を終えたという達成感が待っているのだろう。そんな風に楽観視していた部分があった。

しかし、実際は決して気楽なものではなかった。まず、証拠の収集。「疑わしきは被告人の利益に」と言うからには、犯罪が行われていないという合理的な疑いの差し挟む一片の余地のないよう、事実の緻密な調査、立証が求められる。詳しくは言わないが、正直こんな些細なことまで立証しないといけないのかと愕然とした。綿密な作業が苦手なので、神経をすり減らすし、また、裁判等の手続きにおける公正のため仕方のないことだが、特に文書の作成において多分に形式的であり、これにも辟易させられた。

それ以上に苦痛だったのが、取り調べである。今でこそワープロがあるからいいが、参考人や被疑者の供述をリアルタイムで書き取り、かつ、検察官が読みやすいように、話の段取りを構成しなければならない。また、供述調書の書き方には色々作法があり、過去形を使う使わない、事実の叙述か本人の推測かを厳密に書き分ける、本人が知らないような難しい法律用語を使わない等、注意しなければいけない点が多々ある。下手なことを書くと、それだけで調書全体の信憑性が失われてしまうので、気が抜けない。さらに、仮に事件が公判に持ち込まれたとするが、その場合監督官が作成した供述調書は、特定の場合には公判における証拠として認められるのである(刑事訴訟法321条)。自身の文章の一言一句が、厳しい司法の審判に服するわけだから、その重みたるや、尋常ならざるものがある。

とまああれこれ技術上の話をしたはいいが、実際に労働法関連の事件が正式裁判にまで進むことは稀であるから、杞憂と言えば杞憂かもしれない。多くの人間――例えば私――の心を、切実に悩ませるのは、被疑者聴取のときである。

これも技術的な話になってしまうが、法律に明記のない限り、過失犯は罰しないことになっている(刑法38条)。労働基準法等には、過失犯に関する規定がないから、必然、故意がないと罰することができないことになる。これは、逆に言えば、罪を犯す意思があるものとして供述を引き出さないといけないことを意味する。
実質的倒産に伴う賃金不払い事件を例にすれば、余程の事情がない限り、好き好んで賃金を支払わなかったということはまずないので、大抵は「使用者としては、売上をまず賃金の支払いを最優先すべきであったのに、買掛金や公共料金の支払い等に追われる中『あえて』そちらに充ててしまった」といった具合に、故意を伴った供述を得ることになる。

これには大きな不満を感じている。なるほど、雇用契約は労務の提供に対し報酬の支払いを約する契約であるから、一旦労務が提供された以上、賃金債務を履行しなければならないのは当然の理である。しかし、ここでいう当然とは、あくまで契約法上の話である。刑罰は私人に対する国家による強制力である以上、その行使には十分な注意が払わなければならない。そもそも賃金不払罪が債務不履行を構成要件とする極めて特殊な罪であることもあるのだが、単に構成要件に該当するだけでなく、処罰に値するだけの重大な違法性(故意)が認定されなければならないはずである。つまり、私腹を肥やすために賃金を支払わなかったといった身勝手な理由ならともかく、資金繰りに窮する中やむにやまれず賃金不払いが発生したという場合、確かに買掛金の支払いを優先したとしても、それを前述の身勝手な故意と同視するのは、果たして妥当なのか。しかもそういった微妙なケースを、故意があったことを読み手に強く認識させる語法で供述調書に記載することは、事態をありのままに記録していないのではないか。

ふたつ批判がありえよう。ひとつは、賃金支払は経営者が負う最重要の責務であるからには、理由の如何を問わずその責任は重大であり、故意のさえあればその強弱は問題にならない、と。もうひとつは、事件が悪質であるか否かは、事件を起訴する検察官、裁定を下す裁判官が判断することであり、一警察機関が事の軽重を恣意的に較量することは自身の役割を逸している、と。

これらの批判に対して、反論をしようとは思わない。至極正しいと思っている。というか、私自身としては、これらの批判こそ、私が紛れもなく抱いている信念であり、むしろ先程述べた不満はそこから漏れ出た、感情的かつ恣意的な法律判断であると考えている。しかし、私には、いずれかを捨て、いずれかを残すことができる程割り切った人間ではない。私は今までに述べたことを全て心の中で共存させなければならない。

どうするか。思うに、我々は捜査という語に込められた理念に立ち返らなければならない。犯罪捜査規範第2条第1項を見てみよう。

 捜査は、事案の真相を明らかにして事件を解決するとの強固な信念をもつて迅速適確に行わなければならない。

捜査は、①事案の真相を明らかにすること、②事件を解決すること、この二つの信念に基づきなされるべし、というわけである。②にいう事件の解決をどの時点と見るか(a.事件の真相が明らかになった時、b.事件を書類送検した時、c.事件の判決が下された時等)、考えは種々あろうが、警察機関の権限から考えるに、a.ないしb.と見るのが妥当だろう。とすれば、書類送検は単なる手続きに過ぎないから、捜査の本分は結局「事実の解明」にあることになる。

そう、我々警察機関に求められるのは、被疑者の弾劾などでは決してなく、「真実の追求」なのである。我々は、憶断を排し、公正中立に、社会に発生した事実をありのままに調べ、記録することを第一に考えなければならない。そして、検察、裁判所が事件の態様を正しく理解できるような情報を、事態の大小にかかわらず、検察、裁判所が事件の態様を正しく理解できるような情報を、事態の大小にかかわらず、提供しなければならない。これこそ、我々が、追求すべき正義なのである。

この世には様々な正義や不正義を見ることができる。しかしそれは往々にして物事の一様相であったり、様々な事物の絡み合いにより容易く移ろう諸相に過ぎない。人は、物事の一面に固執するか、自身の与り知らぬ領域を包含する装置の正しく作動することを祈ることでしか、正義を享受することはできない。司法警察員である私は、「真実の追求」という夢を見ながら、己の行為を正当化するより他ないのである。

なお、余談であるが、正義を享受するにとどまらず、正義を貫徹するには、一切の予断を捨て、全てを疑い(デカルトの懐疑論ではない)、全ての正義を破壊し尽くさなければならない。私がその境地に至るには、まだ少し早い。

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