正義の味方は必ず傷付くものだという話

労働基準監督官の仕事は結構ストレスのたまる仕事である。どうしてなのかとかはここではいちいち言わないが、とりあえず、労働基準監督官は、労働者の味方とか会社の敵とかそういう以前にまず、労働基準法令の番人であり、そしてそれ以上ではない、とだけ言って、暗にその苦労を仄めかすに留めることとする。

ちょっと色々あって(そしてこれから色々起きるので)、いつもの通り凹んでいたのだが、そんな時ふと、今は亡きやなせたかしの言っていたことを思い出した。

やなせたかし氏 日本人の正義とは困った人にパン差し出すこと(NEWSポストセブン)

正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

正義って相手を倒すことじゃないんですよ。

正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。

心に響く世界最弱のヒーロー アンパンマンの正義 ~やなせたかしさんに聞く ― 自分も傷つかずに、正義を行うことはできない、という思い(日経トレンディネット)

もう一つの意味は、自分の顔をちぎって渡すヒーローということ。なぜかというと、正義を行うときには、自分が傷つかずにはできないという考えが、ぼくの中にあるからです。つまり、自分はまったく傷つかないままで、正義を行うことは非常に難しいということなんです。

正義というのは、そうした覚悟なしにはできないんです。もっと簡単なたとえでいうと、あなたが、電車に乗っていて隣の人がタバコを吸っていたとします。「ここは禁煙ですからタバコを吸ってはいけませんよ」と言うと「なんだテメェ、余計なことを言うな」と殴られることだってあるんです。(…)何故殴られたのか、それは正義を行ったから。正しいことをする場合、必ず報いられるかというと、そんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです。傷つくかもしれないけれど、それでもやらなければいけないときがある。

そして、正義というのは、非常に情けないところもある。ある会社が不正をしていたとします。社員がそれを内部告発すると、会社の不正はあばかれて正されますが、その告発した人はどうなるか。正しいことをしたのに、あいつは密告するといわれて、全部の業者から阻害されてしまうかもしれません。それで、まったく仕事がなくなってしまった人がいます。

ですから、アンパンマンは、顔を渡すたびにエネルギーが落ちていくんです。落ちていくけれども、それをせずにはいられないんですね。自分が犠牲になることもあるけれど、困っている人を助けずにはいられない。そういうことなんです。

「一橋大学アウティング事件 裁判経過の報告と共に考える集い」に行って思ったこと(3)

前回のはこちら

ひとまず言えること 主に絶望について

ここまでで言ってきたことを整理する。

  • アウティングは、秘密を打ち明けた者が抱いていた信頼に対する裏切りであり、その限りで暴力である。
  • 重大な秘密を打ち明けることは、確かに受容する者にとって重荷であるが、だからといってその秘密を不特定多数や共通のコミュニティに暴露することは、次の2点のために最善でなく、結果、不意のカミングアウトを理由としたアウティングの正当化はできない。
    (1) 他の第三者機関などで打ち明け、悩みを聞いてもらうことができた
    (2) 暴露によって秘密を暴露された側は甚大な(それこそ秘密を背負わされることよりずっと大きな)精神的苦痛を被る
  • とはいえ、センシティブな事項について何の前触れもなく知らされ、また受容しえない好意を知り、秘密を守り通すことを強制されることはある種の理不尽さを伴っているような感覚がある。結局、告白やカミングアウトさえしなければ、最初から誰も不幸になることはなかったのではないか、という疑義が生まれてしまう。

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おくすり手帳

現状何飲んでんのか、ひとまず記録。ところでお医者は酒飲んでも大丈夫って言ってるけどホントかいね。まあ怒られても飲むけど。意志薄弱だから。

毎食
ドンペリドン 10 mg
ドグマチール 50 mg
レキソタン 2 mg


コンサータ 27 mg


ストラテラ 40 + 25 mg
レクサプロ 10 mg
サインバルタ 20 mg

寒い

 相変わらず修論を書きたくなさ過ぎて街に繰り出す。上野駅の広小路口より出て商店街に入り、暫くして右に曲がり、アメ横や道路を横切って、次いでオークラ劇場のある細い道を通って不忍池に出る。

 幾らか前には青く茂っていた蓮が、今はすっかり立ち枯れになっていて、僅かな生き残りはしわしわの灰緑色の葉を池に垂れていた。ビル群の上には薄黒い雲が一面に渦巻いていて、隙間から覗く空の青も、落ちかかる夜の帳にくすむ。しかし、雲のいくらかはその襞に夕日の赤と橙を捉え、穏やかに輝いている。

 僕はそれを良いものだと思ったので、思い立って、左右に交差する往来をすり抜け、池の柵越しに植わる木のそばに立って写真を撮った。

 「見てたーちゃん、空きれい」子供を抱きかかえた女性がこう言うのを聞いた。

 もう一人の通行人も、おもむろに鞄からスマホを取り出して同じ空の写真を撮った。

 人々のゆらぎによって不忍池の一角に集った空の鑑賞者は直ちに散り、二度と再び交わることはなかった。僕は近くのベンチに座って道行く人らを見物したが、僕を含めた三人を最後に誰一人としてあの空に目をくれる人はいない。別のベンチでは、二人の老人がじっと座っており、彼らの傍らには猫が、やはりじっとうずくまっていた。

 いよいよ夜が訪れて、風は益々寒くなり、空は紺に、雲は赤錆色にそれぞれ濁った。僕は帰ることにした。酒でも飲もうかと思った。

「一橋大学アウティング事件 裁判経過の報告と共に考える集い」に行って思ったこと(2)

前回のはこちら

被告の立場から考える

前回の投稿では、アウティングが持つ暴力性というものをこれでもかとなじったわけだが、しかし、アウティングした側ばかりを一方的に断じることに、いくらかの後味の悪さが残るのも事実である。ある人の中には、次のような疑問が生じることがある。「カミングアウトや告白は、聞き手に心理的なショックを与えるのみならず、性的少数者であるという事実を秘密にすることを強いる行為であり、その点今回自殺したAにも問題があったのであり、Zがアウティングに至ったのにもある程度の正当性があるのではないか?」

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