僕の自己肯定感を台無しにした言葉への呪詛

僕はひたすらに自己肯定感が低い。幾度も友人や親族に不思議がられるのだが、とにかく自分には価値がない、自分の為したことには価値がないと思ってしまう。さらに言うなら、無価値どころか有害とさえ思うこともある。こうなってしまったのは、恐らく生来的なものがベースにあるのだろうが、それ以上に、ある強烈な出来事も関係していると、今では思っている。あの出来事によって、どれだけ自分が振り回されたか知らず、そして最近も、希死念慮という形で、安寧の日々を台無しにされた。こうやって、日々の健やかさを害される度に、様々な人に対してや、Twitterのタイムラインに愚痴を吐いて気を紛らわしていたのだが、やはり、音声言語やツイートのように、外界に放たれるや直ちに姿を消してしまう媒体を用いても、その時はいいのだが、心に留まらないから、いつだかにまた苦しみがぶり返してしまう。なので、進まぬ気を奮い立たせて、書くことにした。恐らく、この話聞いたことあるよ、という人が多いかもしれないが、左記のようなわけがあるので、どうかご了承いただきたい。

きっかけは高校時代にさかのぼる。僕はもともと中学の三年間に吹奏楽をやっていたので、その流れで高校でも吹奏楽をやろうと思っていた。いや、もう少し正確に書くなら、この高校は吹奏楽の強豪校だったので、それが理由で志望し入学したのである。

そんな具合に適当な気持ちで吹奏楽部に入部したのだが、まあ普通に考えて厳しい場所だった。例えば、自主練という名の強制朝練は確か六時台からスタートして、電車を何回も乗り継いで通学していた僕は始発に乗っても間に合わないわけだが、その場合は学校から近い部員の家に泊まってでも来いという具合だった。また、この部活では顧問による独裁体制が形成されており、「お前らはせいぜい金魚の糞だ」とかいう暴言は当たり前で、怒鳴り散らす、頭を叩く、目の前で書類をビリビリにするといった、高い蓋然性でパワハラに該当しうる行動、言動が著しかった。それと、これは退部してから知ったことなのだが、一年間で何回も部長を交代させる、部内恋愛禁止(別れなければ退部)といったこともあったらしかった。

とにかく、こんなところにはとても長くいられないと思ったので、ひとまず担任に相談したら(恐らく部活の事情を知ってか)夏休みに入る前に早めに辞めた方がいいとのことであったから、実際その通りにしようと思い、紆余曲折あって、なんとか退部することができた。無論、この「紆余曲折」がとんでもなかったわけで、まず、僕がパートリーダー兼副部長に退部の意思表示をメールでしたことが顧問の反感を買い、人間としてどうのこうのといったお叱りを賜った。まあこれは時代や個人の価値観の問題があるからどうでもよろしい。それとその後、100人以上いる部員全員を集めた前で何故か謝罪させられたりもした。ただ、当時はとにかく辞められるのなら何でもいたしますといった気持ちだったので、これも大してダメージとはならなかった。問題なのは、退部の際に言われた、概略次のごとき言葉であった。

「もしあなたが吹奏楽部に入ってこなければ、フルートパートに入れなかった他の人がフルートパートに入れたかもしれなかったんですよ」

こうして文章を書いている今になってみれば、「そんな生ぬるい気持ちで入部されちゃこちとら迷惑なんじゃい」程度の意味だったのかもしれないのだが、当時の僕、というか、現在まで僕の心の奥底にいる潜在意識からすれば、とんでもない発言だったのである。

まず、これは端的に僕の存在を強く否定するものである。僕さえいなければ、フルートパートを志望した他の部員が自身の希望を叶えられたかもしれなかった、それなのに、僕という存在がいたばかりに、その可能性を奪ってしまった。僕の存在自体が、悪として表象されてしまったのである。

また同時に、これは僕の願望、能力の存在をも悪とするものである。百歩譲って、自分の存在を認めたとしても、結局、僕が吹奏楽部に入部したという選択や、他の人より適性があったことにより、フルートパートに選ばれなかった人が出てしまったことは事実なのである。僕が自由意思に基づいて選択すること、僕が能力を所有することが、害悪となる場面があってしまう。僕がこれをやりたいと思って何かをやれば、その分他者の可能性を狭めてしまう。僕が何かの能力を有してそれを行使すれば、その分他者はその能力を行使できる場面を失ってしまう。

大げさに思われるかもしれないが、とにかく僕にはこのように先程の言葉が解釈されたのだった。それからというものの、僕はひたすら自身の存在、属性、能力、意思を呪った。退部後、僕を呼び水にして他の1年生も辞めて行ったため、残留した部員に嫌味を言われたのも事態を悪化させた。今思えば彼らは僕のおかげで退部するきっかけが得られたのだから、むしろ誇って良いように思うのだが、当時の僕は自分の勝手な行動のせいで部活にさらなる悪影響を与えてしまったとばかり考えて余計落ち込んだ。落ち込んだというか、自身を大罪人とさえ思った。

この事件以降、僕の人生はひどく内向的で卑屈なものになった。僕の存在や任意の行為、意思は悪であるという公理のもと生きてゆくこととなった。死ねば諸々の悪は消滅すると分かっていたのだが、死ぬのは怖いので生きるしかなかった。このような状況では、死を恐れることはエゴである。僕が生を希求することは、二次的な悪であった。さりとて、生きることも、さらには良く生きることも、僕にとって悪だった。僕の任意の能力を増大させることは、その分他者の領域を狭めることになるからである。なお、知識の蓄積についてだが、僕はこれを能力の増大というよりも、いかにこの世で為す悪を小さくできるかの技法の習得と捉えている節があったし、残念ながら現在もそのように考えてしまうことがある。

無論、上記の公理は、行動の指針としてあまりにも抽象的に過ぎる。しかし、たとえ指針でなくとも、己の判断を、よく言えば慎まやかに、悪く言えば卑屈にするには十分なものであった。また、自身による評価や他者からの評価を全くの無に帰する理由としても、やはりあまりに有用すぎた。結果として、あの言葉を受けてからの人生は、周囲からの無数の賞賛や慈愛を無下にし、貴重な自身の可能性の幾つかを打ち捨ててゆくものとなった。

幸い、様々な人の正当な評価や現代医学のお陰で、昔と比べればだいぶ前向きに、かつ有意義に生きられているという実感がある。しかし、こんなことを言っても仕方がないのだが、あの言葉が無ければ、もっと前向きに生きて、もっと沢山の成果を生み出すことができたのかもしれないと思っている。はらわたが煮えくり返るほど悔しい。悲しい。とはいえじたばたのたうち回っても何かが変わるわけでもない。どうするか。僕のような人が一人でも少なくなるよう、ここに呪詛を刻み、もって広く共有されるべき戒めとするしかない。言葉は時に物理的な暴力を超えて人を深く傷つけることがあるということ、その傷は長くその人を苦しめるということ、そして、人の存在を否定することは、したがって、最も忌むべき大罪であるということを、多くの人に知らしめるために。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。