僕が鬱、ADHDと診断されて思ったことは、僕は鬱でADHDなのだということだった。何を当たり前のことを、と感じるかもしれないが、とにかくそうなのだ、と言うことしか僕にはできない。確かに、診断以前から、自分は鬱なのではないか、ADHDなのではないか、といった、うっすらとした疑念があったことはあった。しかし、「自分は○○かもしれない、○○なのではないか」と「自分は○○だ」との間にある溝は、人々が思っている以上に、深くある。
鬱に関しては、大学4年生辺りから、薄々自覚していた。布団から3日間動けなくなったり、突然襲ってくる不安感に押しつぶされたり、自分の無能感に悲観的になったりと、それこそ例示してみれば枚挙にいとまはないのだが、それでも当時は、ショッキングな出来事に対する軽いパニック障害みたいなもの、また、そこから呼び起こされる過去のしがらみ、今まで自分を縛り付けていた数々の呪いの言葉に一時的に毒されているだけなんだろう、と、あまり深刻には考えていなかった。精神科には通っていたが、せいぜい頓服の薬を貰うだけで、根本的な解決を要するものと気付いていなかった。
ましてやADHDなんてなおさらであった。ただ単に僕はだらしなくてドジなだけなのだと、悪い意味で「自分の個性」だと捉えていた。ADHDのチェックリストを見てみたりしたことも幾度かあったが、どのチェック項目も(例えば「忘れ物が多い」、「集中力が続かない」等)、みんなどこかしら当てはまるものだろうと思っていたから、ほとんど信用していなかった。無論、発達障害に該当する人々の苦しみを軽視しているのではなかった。実際、様々な社会的な障害に立ちはだかって、辛い思いをしている人々がいるということは知っていた。ただしかし、自分が実のところその中の一人であったということにはまるで気が付かなかった。僕が社会に対して感じている障害を、恐らく自分の自己否定的な性質からか、かなり過小評価していた。
いつだったろうか、とにかく仕事を辞めたくて仕方なくなった。労働基準監督官という職を去年の4月に拝命し、1回目の労働大学校での中央研修を受け終わってしばらくしてからのことだと思う。まだ1年目なのだから当たり前なのだけれど、まだ自分にできる仕事といえば、届け出の受付だとか、郵便物の返信だとか、そういうごく簡単なことしかなかったのだが、これが中々上手くできなかったのだ。受付日を間違える、年月日は合ってても曜日を間違える、受付した届け出の枚数を何度数えても間違える、ハンコを逆さまに押してしまう、そもそもハンコを押し忘れる、会社から届いた返信用封筒をうっかりスタンプ台に置いて真っ黒にしてしまう、その他色々。とにかく考えうるミスを一通りこなした自信だけはあったが、仕事に関する自信に関しては、完全に喪失していた。
どうして僕はこんな単純なことができないんだ? こんな状態で他の仕事を任されたりしたらもっと大変なことになってしまうのではないか? このまま職場の人ばかりか来客者にも迷惑をかけ続けていくとなると、自分なんて辞めてしまった方が国益に資するのではないか?
色々思い詰めて、仕事に行くのが本当にしんどくなった。今すぐにでも職場から逃げ出したくなっていた。もうだめだな、と思ったところで、午後だけ年休を貰って、当日診察してくれる心療内科に駆け込んだ。そこで初めて、鬱とADHDの診断を受けた。そして色々と薬を貰った。
最初は貰った薬の多さに面食らったが、とにかく処方されたものだから飲まなければ、と、とりあえず飲んだら、次の日は驚くほど体がすいすい動き、布団からも実に容易く出ることができた。鬱が単なる精神的症状のみならず身体的症状をも呈するような「病気」であることをまざまざと感ずる瞬間であった。また、ADHDにしても、何をどうすればこの問題が解決できるか、系統立てて考えることができるようになって、これが「考える」ということなのかと、一つの精神的作為について初めて実感らしい実感を得たのであった。
自分が鬱及びADHDと診断されたことは、単に医者のお墨付きを貰ったということではない。僕が鬱やADHDという障害と向き合い、一般的にいう(=定型発達者が自然になすところの)「できる」ということが何かを実感することで、どうやって諸々の「できない」を改善していくか、という契機を得たのだ。このような契機は、「僕は○○かもしれない」という疑念の段階では決して生じないものである。
障害の改善には、自分が障害を抱えているという事実を端的に認めることが第一段階として重要なのだと思う。そうでなければ、「できる」とは何かと問うような機会は生じないであろうし、自分の「できない」を悪い意味での「個性」(つまり、自分自身が責任を背負うところの属性)と捉えてしまい、自己嫌悪、自己否定に繋がってしまいかねないだろう。
僕は、自分が鬱であること、ADHDであることに気付いて良かったと思う。もっと早く気付けばなお良かったとも思っているが、過去のことを悔いても仕方ない。あとは粛々と自分の性状と向き合い、付き合っていきながら、この世に生れ落ちてしまった以上求め続けなければならない幸福を探求し続けるしかない。人間に生まれたことは往々にして不幸であるが、その精神を完膚なきまで打ちのめされたのでない限りは、力の残っている限り、真の幸福を求め続けなければならないであろう。