「一橋大学アウティング事件 裁判経過の報告と共に考える集い」に行って思ったこと(3)

前回のはこちら

ひとまず言えること 主に絶望について

ここまでで言ってきたことを整理する。

  • アウティングは、秘密を打ち明けた者が抱いていた信頼に対する裏切りであり、その限りで暴力である。
  • 重大な秘密を打ち明けることは、確かに受容する者にとって重荷であるが、だからといってその秘密を不特定多数や共通のコミュニティに暴露することは、次の2点のために最善でなく、結果、不意のカミングアウトを理由としたアウティングの正当化はできない。
    (1) 他の第三者機関などで打ち明け、悩みを聞いてもらうことができた
    (2) 暴露によって秘密を暴露された側は甚大な(それこそ秘密を背負わされることよりずっと大きな)精神的苦痛を被る
  • とはいえ、センシティブな事項について何の前触れもなく知らされ、また受容しえない好意を知り、秘密を守り通すことを強制されることはある種の理不尽さを伴っているような感覚がある。結局、告白やカミングアウトさえしなければ、最初から誰も不幸になることはなかったのではないか、という疑義が生まれてしまう。

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